年末に旦那の実家へ帰る機会がありました。
一年ぶりか、半年に会う子供達の変化にビックリしながら、眼鏡で矯正している確率も増えて来て、本当に視力の低下が親戚の中でも著しいものだ…、と感じた。
遺伝的要素も大いにあるので、眼鏡が増えても不思議ではないのだが、昔も視力が悪くなってもさほど調べることをしなかったのではないか…という、私なりの見解も浮かんできた。眼鏡のフレームも様々で、流行りのプラスチックのフレームの子もいれば、昔ながらの金属の細めのフレームの子もいました。
友人に、子供が眼鏡をかけることになったと、話をしたら、自分は小学校の頃から眼鏡に憧れて、暗い部屋で漫画を読んだりして、目が悪くなりたいといろいろしたそうですが、今思えば、なんてバカなことをしたものだと思うと言っていました。本当に…。大切にしなきゃいけません。
その中に、歯の矯正をしている子もいました。歯並びがそんなに悪いと感じたことはなかったのですが、顎の割に歯の一つずつが大きいみたいで綺麗に並ばないらしくって。
夜寝る前に器具をつけて寝るのだそう。分からないところで、努力されているのだな…と、家族にしか分からない事ってあるんだとも、感じました。
土日の仕事を辞めようかと思っていたみたいなんですけど、この矯正の為に掛けもちで働かざるをえない…と言っていました。平日の午前中と、土日どちらか働くスタイルを続けなくては…って言っていました。
視力のいい人に出会うと、これからもどうか大切に…と、思いますものね…。
今では、視力検査の一番上の○の切れ目さえ、よく見えなくなってしまって、本当に眼鏡やコンタクトレンズがなくては生活に支障が出てしまいます。
探しものは、眼鏡なしでは、絶対に見つかりません。情けない話です。
昔に比べて、随分安価なものがお店にも並ぶようになりましたが、相変わらず高価なものも存在していて、眼鏡屋さんでビックリしたのを覚えています。これをいい感じに付けこなす?人って、どんな人かな…って。もう、それは宝石の部類。フレームが金で出来ていて、アクセントにキラキラのものが付いていたりする。時計もだけれど、機能性能プラス飾りの要素が加わって、徐々に高価なものになっていく。
当然ファッションの一部となっていくにつれてかけ心地は重くなり悪くなっていくようですが、高価な指輪をつけているのをみると、重い位の感じで、指が鍛えられるのではないだろうかと思う程の指輪がありますね。指全体が指輪…みたいな感じのものも。
眼鏡や時計を扱っている店で、子どもが不思議がっていた事があります。時計なのに時間が分かりづらいものってあるんだね…って。確かに、高価なものには、時計の本来の役割である時間を知るのに分かりづらいものが結構ある。時計の部品がわざと見えるようになっていたりすると、特に針が見えづらい・・・。そうなると、時間を知るための道具ではなく、それはファッションの一部であって、時間を知るためのものではないということだ。
時計が好きな人にしか分からない良さがあるのだろう。今のところ私には時間の分かりづらい時計の良さが分からないが、ゆくゆく、これいいね!なんて、感じる時が来るのだろうか…。
眼鏡の話に戻るが、私は、高校少し前くらいから、勉強を頑張ったわけでもないのに視力が下がってきて、黒板が見づらくなって眼鏡を作ってもらった。両親ともに近視なので、遺伝と言っていいと思うのだが、自分の生活の中に、目を悪くする原因があったかもしれません。
当時、自分でお金を出すのでは無かったので、値段を気にしないで、選んでしまったが、支払いで今の眼鏡の何倍もの値段を出した気がする。当時の眼鏡の値段に驚かないではいられない。そんなに自由に使えるなら、何に使おう…。最近2万も出したら、結構いいものが買えてしまうのではないか?生産量が増えて、安価になったのか、眼鏡ブームの影響で消費が増えて安価になったのか…。昔より、確かに眼鏡をかけている人が増えて様な気がする…。小学生でも高学年になったら、結構な割合で眼鏡をかけているもので、運動会や発表会で子供を見ると、あの子も、あの子も眼鏡…という印象です。
最近私は、飛蚊症というものになったのか、視界の中にゴミみたいなものが浮いて見え出した。早目に眼科の検査を受けた方がいいような気がするので、予約をとろうと思っています。
体の健康も大事ですけど、目の健康も大事。目から入ってくる情報ってスゴイ量ですものね。情報の8割は視覚から得ていると聞きます。その視覚を失ったら本当に不自由に感じるでしょう。
しかし、視力が弱いことで、研ぎ澄まされる感覚というものもあるようです。娘が、点字というのがあるのを知って、大変驚いていました。
触って見ても、凹凸があるのは分かるものの、それが何を表しているのか全く分からないのです。でも、点字を読む人はその指先の感覚がものすごく発達するのでしょう。初めから視力が無かった人にとっては、見えるということ自体が分からないわけですから、見えないことがどういうことで、見えることがどういうことなのか、分からないのですね。そういうことにも気づきませんでした。自分基準で考えてしまっているんですね。
だから、見えていたものが見えなくなった時に絶望感や、もどかしい気持ちが起き、様々な葛藤、絶望感が襲ってくることもあるでしょう。
人それぞれ、いろんな境遇で生まれてくるわけですが、それを生かすのは自分です。
でも、これだけの事が出来るととらえて、自分に与えられたことで、努力していきたいですね。
娘の眼鏡選びでお世話になった眼鏡屋さん。中国製も物もあれば、日本製のものもありました。日本の眼鏡の生産地と言ったら福井県ですね。
日本の生産の9割を占めると言うから、圧倒的です。しかも、世界でみても、2割の生産を誇るのですから、スゴイことです。日本の眼鏡が世界に発信していることが誇らしいですね。
この先、どんな眼鏡が開発されるのか…。
本屋さんで、長方形の箱を除くと360度の映像が見ることが出来るなんというものが売られていました。ものすごく気になっているのですが、値段がそこまで高くも無かったので、そこまでの完成度でも無いのかな…。って、思ってしまったのですが、映像の進化というものもめざましく、ついてゆけません…。テレビでも、4Kの時代らしいですが、4Kってなに?今までの物と、何が違うの?って言う感じです。つい最近まで、ハイビジョン映像だなんだかんだと言っていたのに、それの4倍きめ細かく見えるって?テレビの映像が綺麗になっても、自分の視力がよくないので、根本的に綺麗に見えるのか?疑問が残ります…。
どれだけ、綺麗に見えるようになるんだ?今のところ4KはCSや有料チャンネルでしか配信されていないようですが、それが標準な時代が来るのでしょうか。何でも、テレビでもインターネットを楽しめるブラウザーが搭載されていているものも発売されているのですね。
インターネットはパソコンでするものという感覚はすでに古いのかな…。タブレットや、テレビで楽しめるものなんですね。レジャー施設でも、映像効果を使ったアトラクションが進化して、本当にその場にいるかのような臨場感、感覚を味わえてビックリします。
時代は目まぐるしく変化していきます。50年前の人が、こんな世の中になるなんて、想像できたでしょうか…。おばあちゃんが、今の人は本当にいい。と、しみじみいいます。
戦争で貧しい時代を耐え抜いてきたおばあちゃんの言葉だから、深いです。自由に恋愛も出来て、物が沢山あって何でも手に入る…。家事も、いい機械があって、洗濯にしても掃除にしても本当に便利な世の中になった。自由という名のもとに、何を言ってもいい時代。おばあちゃんの若いころには思ったことが自由に言える時代ではなかった。国の為に…そう教えられて、それが当然と思っていた。そんな時代だったと話してくれる。
確かに、物がなくて買えない…という時代ではなくなりましたが、何か大切なものを忘れてしまってはいないだろうか…と、便利さを手に入れる度に感じています。子供に、いつも言っていることがあります。お腹いっぱいで、もう食べられない。そんな幸せなことを思える子は、世界でどの位いると思う?世界の大部分が飢餓で苦しんでいることを知って欲しいのです。私も小さい頃は食が細く、一度の食事で食べられる量が本当に少なかったんです。父は食事の度にいいました。食べ物が余っているなんて、残すなんて、本当にもったいないことだ。世界を見てみたら、食べたくても食べられなくて、お腹をすかして生きていけない子供がどれだけいる事か…。一日に一食しか食べられない子も沢山いるのだと、話していました。好き嫌いで食べられなかった訳ではなかったのですが、そんな風にいつも言われました。
そのことにも通じますが、沢山のものに囲まれた今の社会で無くなってきているのでは…と思えるのは、物を大切にするという気持ちの欠如です。
壊れたら新しいものを買えばいい。失くしたら新しいのを買えばいい。
壊れたら直して使おう、今持っているものを大切に使おうという気持ちが薄れてきているのではないかと感じます。いま、靴下が、ズボンが破れてしまって直す人はどの位いるのでしょうか。破れたら、新しいのを買えばいい。そうなんです。買えばいいんですが、縫ったり、布を重ねて直したら、まだ履ける。そんな風に感じる人が本当に少なくなってきていると思うのです。確かに、修理に新品を買うよりも高い値段がかかって、修理より新しいものを買おう…。そう思うのは当然だと思います。でも、大切に使ってきたからこその愛着、思い出というものもありますよね。資源も無限にあるものではない。そう思うと、直して使うこと、修理して使うことは意味のあることだと思います。
私を含めですけど、物が当たり前のようにある世の中で育ちました。水道をひねれば飲める水が出てくる。ボタンを押したらお湯が出てくる。本当に便利です。それでも、両親がものを大切にしなさい。使った物が使えなくなったら、他の使い道、他で使ってくれる人がいないか探してみなさい。家の中の物でも、後の人が使う時の事を考えて、掃除なり整頓なり気をつけなさいとうるさく言われて育ちました。結局のところ、物を大切に使いなさいということなのです。
でも、それは言われて育って良かったと感じています。なので、子供に位またそういうことを言う…。と思われても、私は、世界には…って言って聞かそうと思っています。
子供が大きくなってから、世界が広がった時に、お母さんがうるさく言っていたことはそういうことだったんだな…ってきっと気が付いてくれると信じています。
なので、少なくとも子供の前では物を大切に扱うようにしています。そんな私も、子供が小さい頃に、眼鏡を布団のそばに置いて寝ていたことがあって、子どもが起きた時に、枕元を歩いて、
「ビシッ!」
眼鏡のフレームが割れた事があったな…。
ちゃんと、子供が踏まないような場所に置くべきだったのに…。あのときから、子供にはものを壊されないように気を付けるようになりました…。
子供がいるとまさかということが起きるのです。
本当に!こんなことが起きるのかってビックリする様な事が毎日起こるのです。子供より先回りして、先手を打っていても起こり得るのです。
知り合いの子供の話ですが、歩けるようになった子供が自分で歯磨きをしたいと、歯ブラシをくわえたまま母親の所に駆け寄ってきて、手前で転倒。歯ブラシをくわえたままの転倒であったために歯ブラシが口の中を傷つけて出血…。すぐに病院に向かい診てもらったそうです。
当然、毎回、歯ブラシを加えて歩くことはいけないことだと伝えていたのに、子供は忘れてしまうんです。いつも歯磨きをする洗面で磨けばいいものを、母の所にわざわざやってきて、磨こうとしたところで怪我をしてしまったのです。幸いにも、深い傷ではなく、病院で見てもらっても、経過観察済んだそうで、早く治ったそうですが、本当にびっくりしたそうです。少し昔に、屋台のわた菓子の棒が転倒した際に怪我の原因になって、しかも思いの外深い傷で…という事故が記憶にあった記憶があったので、本当に気をつけなくてはいけないと、厳しく注意したそうです。
歯ブラシは自分出ての届く場所に置かないことを決、歯磨きは母がすると言ってから、始めるという徹底ぶり。そこまでしたら、大丈夫と思いがちですが、歯磨きを終えてから、子どもに持たせてはまた同じことなので、親が管理するようにしなくてはなりませんね…。
子ども自身が落ちついて考えられるような年齢になるまで、気をつけなくてはならないですね。仕上げ磨きから、歯ブラシの管理に至ってまで、本当に母親は気を抜けないので大変です。
物を大切にする気持ちは事故を減らすことにも繋がっているような気がしてきました。きちんと片付いた部屋だと、転倒する危険も少ないですし、小さなものを間違って口に入れてしまうことも無いでしょう。
子供が小さい時だけに限らず、気をつけていきたいところですね。